佐々木寿美映の一言

2022.06.05

久しぶりの家族団らんでした。

久しぶりの家族団らんのひと時であった。
私がマニキュアを塗りながらの会話が弾んでいた時、90歳近くになる叔母が突然
「思い出した!湊の旅館に淡谷のり子が泊まったのよ!」
「ひぇ~!あのブルースの女王の淡谷のり子~? なんでこんなど田舎の旅館に泊まったの~?」
「女学校時代の頃だから・・・確か国鉄職員の家族の慰問のコンサートだったと思うんだけど・・・
パパが “足の爪まで真っ赤なマニキュアを塗っているんだなぁ~!” と言っていたのを思い出したのよ!」

私の祖母はなぜかよく一ノ関駅に通っていて、国鉄職員の人脈も広かったらしい。
そのうちに、長部港の港湾工事も始まり、
知事や県職員、工事関係者の食事会や宿泊を担うようになり、商売も繁盛していたらしい。
港湾が整備されると船主達も増え、したがって税収も多くなり、町も潤い、活気があったのであろう。
その町の漁業もいつしか衰退し、感受性の強い私の少女時代には、お客もめっきり少なくなり、
父母が商売の維持をどのようにしていこうかと悩んでいたのを垣間見ていた。

家族が幸せに暮らすためには、住んでいる町の経済が潤い、
人々が仕事にイキイキと従事していることなのだとその頃強烈に思った。
陸前高田が早くそのようになることを願う日々である。

叔母は昭和8年生まれで、私の母の妹であり、今も現役で家族を励ましている。
パパとは大正8年生まれの私の父のことで、横須賀から戦地へ赴き、戦後入り婿として母と一緒になった人である。

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